楽しめる力が最強だと思う
いつもの時間にバスが来ず、「?」となりましたが大きなトランクを持った人がたくさんいる駅に到着して「!」となりました。そうか!日祝日ダイヤか!!朝のまだ暗い時間ですが、大きな荷物を持った小さな子がにこにこして電車が来るのを待っていました。帰省かな?どこかに遊びに行くのかな?
楽しめる力が最強
jumping for the sunset / jorgempf
「できること」が増えるより「楽しめること」が増えるのが、いい人生。
斎藤 茂太さんの本で読んだ一節です(どの本だったかは忘れてしまいました(/ω\))本当だよなあ~としみじみ思います。もちろん「できること」を「楽しむ」ことも多いと思うので一概に楽しむことが出来さえすれば良いという訳ではないでしょうが、にしたって「楽しめる力」は偉大です。早起きも、重たい荷物も、長い移動時間も、行列も、待ち時間も、その他もろもろの障害があっても、行動したい!と飛び出す理由になっちゃうわけですから。旅行好きの人も、そうでない人から見たら全くもって理解不能です。「なんでそこまで?」時間とお金と労力使って旅するの?て。でも旅好きの人からしたら「なんでこんなに楽しいことせずにいられるの?」てことになるんだと思います。「楽しいこと」それ自体がもつ力は莫大な推進力です。強すぎるエンジンであるがゆえに取り扱い注意なのでしょうが、でも全力で楽しんでいる人はそこにいるだけで周囲にまぶしさを与えます(今朝のハリポタ少年のように)
これを知る者はこれを好む者に如かず、
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず 孔子「論語」
紀元前からこんな風に言われちゃってるし(笑)!!すごいなあ。「全力で楽しむ」ってすごく疲れそうだし勇気がいることだな~と思います。だからこそ、最強の力を持っているのだろうな、と。ただ知識を得るだけではなく、その対象を面白いと思い好きになる。好きになるだけでなく、その学ぶ行為自体を楽しいと思う。それができるようになりたいなあーと思いました。怖がってちゃ踏み出せない、たまには徒労に終わるリスク度外視で踏み出してみようと思う、そんな日でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました♡
「ひとり」という豊穣
もう年末年始のお休みに突入された方も多いのでしょうか?駅も町中も大きな荷物を抱えた人達であふれかえっています。にぎやかでせわしなくて、何か楽しいことが始まる前のわくわくする感じ。でもちょっぴり疲れます。
「見知らぬ人」に会い続けるのは心がすり減る
普通に生活しているだけでも、毎日たくさんの「見知らぬ人」と遭遇します。お仕事をしていたら、ただ行きかうだけでなく言葉を交わしやり取りをしなくてはいけません。もちろん人と会うのは面白く、刺激になります。けれど、たぶん自分たちの祖先は一つの小さな集落(と、せいぜい隣の集落くらい?)で生涯を終えるのが普通で、こんなにたくさんの「見知らぬ人」と接することはなかったと思うんです。しかも、いまは家から一歩も外に出なくても、ネットの海の中に無数の「見知らぬ人」たちが渦巻いています。元気な時は、とってもエキサイティングだし、新しい人や意見に触れることで自分の中で起こる化学変化を楽しむことができます。でもときどき心がすり減ってるのを感じることがあるのです。
たまには「ひとり」を満喫しよう
ひとりででいた時間のなんと豊穣だったこと…ひとり…私はひとりが寂しいとあまり思ったことがない。でもこれからそう思うことがあるのだろうか?老いて体がきかなくなったとき…?
…そしたら それなりに生きていけばいいではないの。そのくらいのさびしさは抱えていけるようになってるだろうし。10年前にくらべても 私は強く(鈍く)なってる自覚がある -----------------西炯子「姉の結婚」
西炯子さんの漫画の中の一節です。人混みから逃れて家に帰ったとき、職場からやっと帰ってこられてホッと脱力したときに思い出します。ひとりという豊穣!
本を読むのでも良いし、ただボーっとするのも良い。音楽を聴いても良いし、ひたすら長風呂するのも良い。
不特定多数の誰かと会い続けることで摩耗した心は、ひとりになることで回復するような気がします。充電完了したら、潔くコードを抜いて外にでる!そうしないと今度は「ひとり」成分が溜まりすぎて過充電みたいな状態になっちゃいますからね。バランスとるのは難しい(笑)
年末年始、普段会わない人にたくさん会う方も、ひとりで過ごす方もいるでしょう。なんとなくバランスをとって充電したいな~とふと思いました。