修羅の国のミニマリスト

かおる先生のゆるふわ診察室

『こだわらないことにこだわる』くらいで丁度いい

常識は18歳までに集めた偏見のコレクションである

アインシュタインの言葉だそうです。奥深い……。常識、て難しいですよね。自分にとっての常識=当たり前が他の人にも当てはまるとは限りません。しかも、ついついそのことを忘れちゃいます。同じように「こだわり」についてもそれが自分のこだわりであることに気づかないことがあります。今日はそんな「こだわり」について。

「こだわり」という言葉は今では良い意味で使われることが多いです。「こだわりの逸品」とか「味付けにこだわった店」など、作り手側の熱意や創意工夫を賞賛する意味で使われてることが多い印象です。ですが、好意的な意味が主になってきたのは最近のこと。もともと、こだわる=拘る 、拘泥するの意の漢字が使われていることからも分かるように良い意味ではありませんでした。『気にしなくてもいいような些細なことに心が囚われている様子』のことをさしていたようです。

 仏教的にはこだわり=執着

 ⬆︎に詳しいですが、必要以上のこだわりは「執着」であるとして一刀両断しています。ズバァッ

かおる先生が気づいたこだわりは、「◯◯くらい、やって当たり前」や「××の手順で進めていくのが当たり前」みたいな、『当たり前コレクション』でした。これまでの経験則だったり、自分なりの勉強から得た知識を活かすことに拘りすぎてました。反省。「◯◯しなくっちゃ!」というこだわりは、自分が頑張っているつもりでいて、褒めて欲しいだけだったり、自分の力を認めてもらいたいだけの虚栄心から出たものだったりするんだなーと。ちゃんとしようとするあまり、かえって窮屈になってしまうことってあります。

こだわりと執着のグラデーション

必要以上にこだわることで、視野が狭くなったり他人に優しくなくなってしまったりすることがあります。なるべくそういう事態は避けたい、のが人情です。しかし一方で、物事になんのこだわりもなく「なんでもいい」「どうでもいい」と人や物事に向き合うのも違うと思うんです。これは「良いこだわり」こっちは「悪い執着」とはっきり白黒に分けられなくてグラデーション、スペクトラムみたいになっているんだと思います。何にこだわるか、何を大事に思うか、がその人の個性だとしたら、無理に何かにこだわろうとするんじゃなくて、『あえてこだわらないように』していてもにじみ出てしまうんじゃかな、と。他人のこだわりポイントは面白くて大好きです。だけれど、自分は「こだわらないことにこだわる」矛盾jしているけど、自戒もこめてそんな感じのスタンスで行ってみようと思います。


今日もここまで読んで頂こうありがとうございます。

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